福岡県大牟田市歴木192の[高田公園]にある高田行宮址を見学してきました٩(ˊᗜˋ*)و
[行宮]は天皇がしばらく滞在するための住まいのことです。
駐車場はありません。
トイレは有ります。
公園沿いの道はクルマが一台通れるくらいの幅しかありません。
公園の隣には田町公民館が有ります。
田町公民館の脇に公衆トイレがあります。
遊具で遊ぶ子供たち。
ジャングルジム・鉄棒・ブランコなどの遊具ががあります。
グラウンドでキャッチボールをする少年たち。
キレイな山の形の山。何山なんやろか?
公民館の窓には鉄網が設置されてる、、野球とかやっててガラスを割ってるんやろな(o´艸`)
ベンチではばあちゃんが休んで、子供たちは遊具で遊び、グランドでキャッチボールする少年たち。
近所に大きな団地があるから、ココはいい遊び場になってるみたい(๑´◡`)
景行天皇の軌跡は公園の隅にあります。
「高田行宮址」の碑。
高田行宮址と刻まれています。
行宮は[かりみや]と読み、天皇がしばらく滞在するために作られた仮設住宅みたいなものです。
碑の側面には[貴族院議員従四位子爵立花種忠敬書]と彫られています。
立花種忠は、旧三池藩主の家系で政治家やってたお偉いさん。
背面にはこう書かれています↓
景行天皇征熊襲而歸到筑紫國御木居高田行宮時有僵樹長九百七十丈焉百寮蹈其樹
而往來天皇問之曰是何樹也故老曰歴木也未僵之前當朝日暉則隱杵島山當夕日暉則
覆阿蘇山也天皇曰神木也是國宣號御木國事詳於日本書紀御木中世更三毛後■三池
以下略
あー、いにしえ~^
簡単に訳すとこうなります↓
景行天皇が熊襲討伐の帰りに[筑紫の国御木]にある高田行宮に滞在していた時の話です。
倒れた大木(長さ約2940m)を踏んで往来している人々を見て、天皇が老人に尋ねました。
天「この樹なんね?」
老「歴木(くぬぎ)ばい。この樹が倒れとらんやった頃は、
朝日の当たると杵島山ば影で隠して、
夕日の当たると阿蘇山ば影で覆うごつあった。」
天「これ神木やん!この国を御木(みけ)にするわ!」
と、日本書紀に書かれてます。
その後[御木(みけ)]→[三毛(みけ)]→[三池]になりましたとさ。
これは西暦88年のこと、今から1930年前の出来事です。
杵島山は有明海をこえた佐賀県にあり、直線距離で40㎞くらい離れています。
阿蘇山は熊本県にあり、直線距離で60㎞くらい離れています。
遠く離れた山を影で隠してしまうほど巨大な歴木の樹があったんやねΣ(゚□゚*)
帰るころには、日が落ちて影が長くなっていました。
2000年くらい前は、この時間になると阿蘇山が影に覆われてたんやろか(*´﹃`*)?
ぶれた写真が多くてスイマセン(;´∀`)
カメラのバッテリーが切れそうだったから急いで撮ってたの‥。
おわり。
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