松藤姓発祥の地!?1150年の歴史[鷹尾神社]大和町鷹ノ尾317

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 ちくごさるき 県道83号線沿い 柳川市

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317[鷹尾神社]を散策してきました(∩´∀`)∩

ここには、松藤姓の祖先の祠と1150年の歴史があります。

たぶん公衆トイレはありません、あんまり長居はできなくて確かではないです(;’∀’)

駐車場は、境内によーら止めてるみたいです。

県道83号線の[鷹尾神社前]信号から徒歩5秒です。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 ちくごさるき 県道83号線沿い

 

 

道路に沿って堀があって、堀には錦鯉が泳いで噴水があります。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 道路添いの堀 錦鯉が泳いている 噴水

 

 

髄神門の前には、石碑と由緒書きがあります。

髄神門は、川口清次さん昭和八年七月吉日の奉献。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 髄神門 お正月 国旗掲揚

由緒書きの内容はコチラ↓


大和町文化財

鷹尾神社石鳥居

指定 昭和五三年一一月一四日

所在 大和町鷹ノ尾字馬場

鷹尾神社は、平安時代の貞観十一年(八六九)に、清和天皇の命によって祭られたと社伝に伝えられる格調高い神社です。

応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祭神とするこの神社な、もともと鷹尾郷の郷社と考えられ、平安末期には、筑後一宮高良神社の別宮として、京都の待賢門院を本家、徳大寺大納言家を領家とする瀬高下庄の鎮守でした。

源頼朝が、諸国に守護・地頭を設置した文治元年(一一八五)の翌年六月、鷹尾郷には、藤原家宗が地頭として任命されています。

文治五年(一一八九)、鷹尾郷の地が、待賢門院の護願時である京都の円勝寺領の鷹尾別府と呼ばれるようになっても、鷹尾神社は、下庄の鎮守であったのです。

社の造営・修造は、朝廷及び鎌倉幕府・執権、室町管領、鷹尾城主田尻氏、柳川藩主立花氏などの下知(命令)によって行われ、南筑後有数の社として栄えています。

例祭には、流鏑馬・神幸・風流(破牟那舞)の行事が有ります。鷹尾神社古文書三巻は、昭和五二年四月九日に、県の重要文化財に指定されました。

境内には、神功皇后行啓遺跡・神功皇后腰掛石・牛の宮があり、鳥居は貞享元年(一六八四)二、藩主立花鑑虎によって寄進されたものです。

大和町教育委員会


おおおおお!1150年の歴史が有るのか(^^♪

 

 

神功皇后行啓遺蹟の碑。

側面には由緒書きが彫られてるみたいだったけど、解読できなかった(>_<)

神功皇后はどういうアレでここに来たんやろか?

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 神功皇后行啓遺蹟 石碑

 

 

この日は2019年1月3日。お正月イベントの名残があります(๑´◡`)

テントやベンチがあって、ライトがぶら下がっています。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 拝殿 参道

 

 

テントの中には御神酒・スルメ・昆布・ストーブなどがあり、お正月感が漂っています。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 お正月 御神酒 スルメ昆布

 

 

拝殿前には立派な門松が二基あります。

もーーー!テントとかライトが邪魔で、拝殿が綺麗に撮れないよ。゚(゚´o`゚)゚。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 拝殿 お正月の名残り

 

 

虹梁には龍の彫刻、其の上には[並び鷹の羽]紋が彫られています。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 虹梁の彫刻 鷹の羽紋

 

 

鷹尾神社だし社紋が鷹の羽だから、鳥系の彫刻があるかと思ったけど見当たらなかった。

いつもの、唐獅子と象の彫刻。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 木鼻の彫刻 獅子と象

 

 

大きな社額には[八幡宮]と書かれています。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 社額 八幡宮

 

 

拝殿内には、御座と絨毯にファンヒーターがあります。

ここでお正月イベントをやってたのかな?

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 拝殿内 お正月の名残

 

 

拝殿内には写真や大きな絵画がかかっていて、天井絵も残っています(*´﹃`*)

天井絵は、鎧を着た人が戦っている絵ばっかりです。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 拝殿内の天井絵 戦国時代の様子

 

 

鎧武者が馬に乗って戦っている様子が描かれています。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 戦国時代 騎馬戦

 

 

駆逐艦 江風の写真が奉納されています。

排水量 1685トン。速力34ノット。(同型艦10隻)

ガダルカナル輸送作戦、ソロモン海戦等にて活躍。

昭和18年8月26日パラオ諸島沖海戦で奮戦の後沈没す。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 拝殿内の絵馬 駆逐艦江風の写真

軍艦って、当時は人気者やったんかな?

三橋町の島田天満宮にも軍艦の写真とか絵が奉納されてた。

 

 

神殿をのぞき込むと、鏡餅と果物とお酒が供えてある。  さすがお正月。福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 神殿 鏡餅 御神酒

 

 

ここは、拝殿よりも神殿の方が大きい。めずらしいよね(*´﹃`*)

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 拝殿と神殿 ゴミ捨て場

 

 

拝殿の横にはでっかい石灯籠があります、文政二年己卯歳八月十二日。

文政二年は西暦1819年、今(2019年)から200年前のもの。

だいたい参道の脇にあるよね?今、拝殿が建ってる所は参道やったんかな?

灯籠(文政二年)より後に拝殿が建てられてのかしら?

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 大きな石灯籠 文政二年己卯歳八月

 

 

灯籠の中台には蟹が彫られてて、これも珍しいよね。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 石灯籠の中台 蟹の彫刻

 

 

境内には、他にも石碑・社・遊具などがあります。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 境内 広場

 

 

[通夜之石布美]と刻まれている石碑。

[通夜之石布美]って何?検索かけても出てこない謎の言葉(>_<)

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 通夜之石布美 石碑

 

 

牛之宮。となりには由緒書きがあります。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 牛の宮 松藤姓祖先の祠

由緒書きの内容はコチラ↓


大和町文化財

牛の宮

指定 昭和六二年一二月一四日

所在 大和町大字鷹ノ尾馬場の内

牛の宮は、藤原氏の守護神で、祭神は、その祖天児屋根命です。鷹尾神社の古文書「瀬高下庄領家公文所下文」に、「牛宮祭料ニ石六斗」とあり、「建保四年(一二一六)閏六月十六日」の日付と、「前対馬守藤原朝臣(花押)」の名があります。いずれの時か、九州に赴任した藤原氏が、この神社の境内に守護神として祭ったと思われます。

昔、境内の大きな松に藤がまつわり咲き、それがあまりにも見事でしたので藤原の姓を「松藤」に改めたと伝えられています。この石の祠の奥の正面の壁には、次のように刻まれています。

「元禄八亥年 松藤五拾人與

鷹尾別府 松藤三良兵衛

牛之宮建立 藤原■次

松藤 松藤次兵衛

八月廿日 中嶋開 松藤市左衛門 村住聞共 五拾建余」

元禄八年(一六九五)に、松藤の姓を名乗る「村住聞共」五十人與の者が、この石の祠「牛の宮」を建立したのです。

七十年後につけられた石の扉には「明和三丙戌年(一七六六)十一月吉祥日」「松藤七十八人與」と下り藤の紋が彫ってあります。下り藤は、松藤家の紋であり、松藤姓の祖先の祠として、土地の人は、「松藤さん」と呼んでいます。

大和町教育委員会


 

 

滑り台とブランコがあります。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 境内の遊具 滑り台 ブランコ

 

 

道路沿いの石碑には、石田昌松園の略歴が彫られています。

福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317 鷹尾神社 歌人石田昌松園略歴の碑 若菜籠の著者


略歴

石田昌 松園と号す 元治元年十一月山門郡

鷹尾に生まる 若くして長崎に遊学さらに上京

して平田門の国学者元老院議官丸山作楽に

就いて国学を研鑽 歌人上海胤平に和歌を

学んだ

故あって故郷に帰るや久留米の国学者船曳鐵門

に師事 万葉の研究に没頭したやがて歌人として

も一家をなして福陵会 白峯会 山門会などを工宰

して西日本新聞歌壇の選者をも務めた

歌集に松園詠草 松の落葉などがあり こと

に長歌を得意とした 書にも秀でていた

郷土史にも造詣深く明治二十九年女山神籠石

を発見して考古学界に提供した また産土鷹尾

八幡宮の沿革を明らかにしてその顕彰につとめた

山門の遺跡伝説口碑を記した著書に若菜籠が

ある

昭和二十三年十二月八十五歳で没


 

 

境内を一回りしたけど、神功皇后腰掛石がどれだか分らなかった:;(∩´﹏`∩);:

 

もっと良く見て回りたかったけど、境内をウロウロすると隣の家の犬がうるさく吠えて、

そのたびに近所の赤ちゃんが泣き叫んで、飼い主が犬を叱りつけるから、

居た堪れなくて立ち去っちゃった_:(´ཀ`」 ∠):

 

おわり。

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