福岡県久留米市国分町395にある[忠霊塔]を散策してきました\(^o^)/
芝生張りの広場の奥に、大きな塔が立っています。
左側は競輪場の建物、右には子供広場の遊具が見えます。
すぐそこに駐車場があるし、トイレも屋根付きの休憩所もあるから、ユックリできますよ(*’▽’)
でかい(@_@)
忠霊塔前の石碑には、こう書かれています。
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《平和祈念の碑》
過去の幾多の戦争は、多くの尊い生命を奪い、遺された人々に消えることのない深い悲しみをもたらしました。
「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない」
この決意を、私たち一人ひとりが心に刻み、後の世代に引き継いでいかなければなりません。
久留米市は、戦没者慰霊祭をはじめとした取り組みを通じて、広く平和の尊さを訴えていくとともに、すべての市民が心豊かに暮らせる地域社会づくりを進めていきます。
ここに、あらためて戦没者に対し哀悼の意を表し、恒久の平和を祈念いたします。
平成二十二年三月 久留米市長 楢原 利則
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塔の基部。納骨所の扉。
忠霊塔、納骨所の裏側。塔はキレイなのに、その下の納骨所の壁は黒く色がついてる。
忠霊塔からの景色。敷地は桜の木で囲まれてる、春になるとキレイなんやろなぁ(*’▽’)
忠霊塔脇にある立て看板の内容です。
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忠霊塔の由来
この忠霊塔には、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、沖縄等各県に亘る、旧久留米市団管区関係戦没陸海空軍人軍属の英霊五千四十八柱の分骨を祀る。
1、塔の高さ十七米「忠霊塔」の文字は渡辺中将の揮毫である。
2、昭和十四年七月着工 二年九ヶ月の歳月二十五万円の巨費延べ十一万二千名の銃後赤誠の勤労奉仕により完成した。
3、昭和十六年四月十日完成 酒井久留米市団長、志岐奉賛会長、本間福岡、生税住佐賀両県知事が祭主となり石橋久留米市長始め関係者八千余の参加を得て竣工式及び鎮魂式が盛大に執り行われた。
4、建設奉賛会長志岐豊中将、久留米在郷軍人連合分会長高柳常一中佐、畑瀬安太郎中尉並びに直接工事の指導に献身された中山岩吉工兵大尉の奮斗は銃後赤誠の奉仕とともに特筆すべき業績である。
忠魂永久に眠るこの丘に尊い犠牲を偲びいつまでもいつまでもその武勲を称えましょう。
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塔の裏に回ると、石碑が二つ。
大きい方の石碑の裏には、こんもりと土が盛ってある、高さは1mくらい。
これが[山川陸軍墓地にあった墓石]かな?
こんもりの周りは石で囲われてる。
上には白い石が散りばめられてた。
忠霊塔について
歴史散歩No.23より引用
陸軍墓地の中心となる施設です。基壇からの塔の高さ17m、幅3mの徳山産の花崗岩に渡辺正夫陸軍中将
揮毫の「忠霊塔」が彫られています。納骨所の高さ6m、幅8m、正面幅23mありその外面は花崗岩を張詰めています。
山川町旗崎の旧陸軍墓地から移された4,030柱と新たに合祀された1,018柱、合わせて5,048柱が納骨所に安置され
ています。また山川陸軍墓地にあった墓石は塔の背後に埋められています。忠霊塔前広場は玉砂利でした。入口左手
にある手洗鉢は浮羽郡水縄村(久留米市田主丸町)から戦車で引かれてきたものです。
おわり。
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