福岡県大川市向島にある[昇開橋] [旧国鉄佐賀線筑後若津駅跡] を見学してきました(๑’ڡ’๑)
機械好きには堪らない巨大機械構造物でした(*´﹃`*)
駐車場・トイレ・休憩場あります。
多分この辺が[旧国鉄佐賀線筑後若津駅跡]、今は駐車場になってる。脇に電車アイテムあった。左の黄色は[転てつ標識]、真ん中の黒い信号機が[色灯信号機]、右にある黒いレバーは[転てつリバー]
白峰神社聖祉 平成7年11月吉日の碑、これも駐車場の脇にある。
筑後川昇開橋展望公園。階段を登ったら昇開橋へ。
おっちゃんおばちゃんが掃除してくれてた(๑´◡`)ありがとうございます。
公園には案内板や歌碑、遊具 公衆トイレなどがあります。
若山牧水先生の歌碑がふたつ。
奥の碑には[大川に われは来にけり おほかはの 流るるごとく 酒わける里に]と彫られています。(手前の歌碑は字が下手なので解読できません(*_*;)
といれ。
階段上った、ここにも鉄道アイテムある。踏切のヤツ。カンカンカンカンのヤツは[踏切警報機]。
建物は休憩所になってて、机とベンチがあります。
見上げると鐘がぶら下がってて、これは[幸福の鐘]なんやって。
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若津は、宝暦元年(一七五一)に久留米藩が竣工した港町です。
米の積出し港として発展し、明治初期には福岡県一の輸出入額をあげ、昭和初期まで大阪商船や尼ヶ崎汽船も入港していました。
この鐘は、若津港往来の貨物船に取り付けられていました。視界不良の時、位置を知らせ事故防止の警鐘として使用されていたのものです。。
時代と共に、港の用途は変化しても、航海の安全を祈る気持ちは、変わることなく受け継がれ、澄んだ音色は皆様の人生航路の安全を見守ってくれるでしょう。
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入換標識:停車場内で列車を入換するときに使用するもので、点灯の状態により線路が開通していない時(白色灯が2個水平点灯)と線路が開通しているとき(白色灯が2個左下向きに点灯)の表示をするもの。
2007日本機械学会認定「機械遺産」の一つ旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)。
他には[旅客機YS11] [無停止杼換式豊田自動織機(G型)第1号機]
[万能製図機械MUTOHドラフターMH-1] [東海道新幹線0系電動客車]
[カブ号F型(ホンダ時自転車用補助エンジン)] [マツダ10A型ロータリーエンジン]
[ホンダCVCCエンジン]などなど。
機械遺産なんてあんのか!ボク機械スキやから調べてみよう(*´﹃`*)
登録有形文化財 第40-41-0001号 この建造物は貴重な国民的財産です 文化庁
昇開橋の隣には大川昇開橋温泉がある。
この後に行った若津神社で遭ったおっちゃんに教えてもろたんやけど、ここ(温泉)は以前造船所だったらしい。
大川市は港町で、船大工がいっぱいいて、その技術で家具を作り始めて、今となっては木工・家具の町。
という歴史があるんやって(๑’ڡ’๑)若津神社のおっちゃんが言ってた。
昇開橋稼働時間表 稼働悲1月4日~12月28日(月曜日は休み、月曜日が祝祭日の場合火曜日が休み) 稼働時間9:00~17:00
ここに来たのは2018年8月13日(月)
もーーーー٩(๑`н´๑)۶!
夏休みに入ってて曜日感覚がアレになってた、ちゃんと9時前に到着できるように出てきたのに‥_:(´ཀ`」 ∠):
あーぁ。入れない。。今日はいいネタが撮れると思ってたんやけどなぁ(>_<)
橋の麓には、コンテナを改造した家具屋さんと、
橋の下をくぐった先に、
デ・レイケ導流提の輪切りが有ります。
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デ・レイケ導流提(若津港導流提)とは‥
ここに展示している石積みは、明治23年(1890)に石黒五十二技師らによって造られて土木構造物です。
実物は筑後川の中にあり、干潮時にその姿と見せています。
このデ・レイケ導流提は、明治維新以降に船舶が大型化するに伴い、筑後川の若津港にも大型船が入港できるようにすることを目的とし、
筑後川の流れを制御し自然の力で川底にたまる土砂を有明海に流して、航路を確保するために設けられました。
なお、デ・レイケ導流提は、筑後川の河口から早津江川の分岐点近くまでの約6.5kmにわたって築かれており、
筑後川の近代河川計画を検討したオランダ人技師であるヨハニス・デ・レイケの名前を当てて、
現在では通称「デ・レイケ導流提」と呼ばれています。正式名称は若津港導流提です。
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国指定重要文化財 旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)
筑後川昇開橋は、旧国鉄佐賀線の鉄橋として昭和十年五月に竣工しましたが、急流の中に船の航行を容易にするため、
昇降式架道橋を取り込み架設されている点に特色のある景観を添えています。
この昇降式架道橋は全体で約五〇七メートルあり、鉄塔の高さは約三〇メートル、
可動桁の長さは約ニ四メートルで東洋一の規模を誇り、さらに現存する可動橋としては最古のものと言われています。
開通以来、この鉄橋は沿線の地域や住民に故郷のシンボルとして別格の愛着を持って親しまれてい参りましたが、
急激な自動車文化の進展に伴い大型橋梁の建設と相俟って、佐賀線も昭和五七年の国鉄第二次廃止対象路線となり、
昭和六二年三月国鉄佐賀線の廃止と共に鉄道橋としての使命を終える所となりました。
しかし、この昇開橋に寄せる地元住民の愛着と郷愁の念は止み難く、大川市・諸富町があい携え、
歴史的資源並びに地域発展のシンボルとして保存運動が実り、
平成八年四月財団法人筑後川昇開橋観光財団が設立され、遊歩道として生まれ変わりました。
また、平成八年十二月に国の登録文化財の第一陣に登録され、さらに平成十五年五月三十日に技術的に優秀かつ歴史的に価値が高いとの理由により、国指定重要文化財に指定されました。
あーぁ。渡りたかったなぁ(-_-)
おわり。
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