数学の神様有馬頼徸公と学問の神様菅原道真公を祀る[若津神社]大川市向島

福岡県大川市向島 若津三柱神社 拝殿正面 狛犬 大川市

福岡県大川市向島の[若津神社(三柱神社)]を散策してきました٩(ˊᗜˋ*)و

数学の神様と学問の神様を祀ってて、めっちゃ頭良くなりそうな神社(๑´◡`)

駐車場は無いみたい。近くの筑後川昇開橋展望公園の駐車場から徒歩五分くらい。

地図には[若津神社]って書いてある、鳥居には[三柱神社]って書いてあってよく分らない。

 

三柱神社の鳥居。

 

神橋には[明治廿五年架之]って彫られてる。

 

珍しい、鳥居と神橋の延長線上に拝殿が無い。正面突き当りにあるのは手水舎。そこから右手に拝殿本殿がある。

 

参道左には、正一位 最上経王大菩薩 常森稲荷大明神。

 

狛犬みたいに狐が居るのって珍しいよね(*´﹃`*)

 

拝殿は公民館的な建物とくっついてるみたい。でも、境内にはこれとは別に若津上町公民館の建物があったぞ?

こっちは社務所みたいなもんかな?判断できるような看板とか由緒書きは見当たらなかった。

 

参道突き当りの手水場。奥のベンチにおっちゃんが休憩してる。

 

休憩中のおっちゃんが声をかけてきた。

おっ「熱心に見て回ってるけど、なにか調べモノかい?」

ぼく「こういう所に興味があって、見学して周ってるんです。」

それから、おっちゃんはこの神社や周辺の歴史を教えてくれた(๑´◡`)

 

「これは日露戦争から帰ってきた兵隊さんたちが寄付したもの。」

色も形も珍しいよね!作ったのは [若津石工 川野善太郎 川野舛太郎]

 

「昔はこの敷地内に神社が三つあった、今はそれをまとめて三柱神社にしてる。

一社はそこに在って、もう一社はあそこ、それと向こうに一社にあったんだ。」

一社が在った位置は、参道を直進したところにあったそう。

なるほど、建て替えられたから参道が右折してたんか(*‘∀‘)

 

 

「鈴の上にに紋が三つあるやろ?あの三社があったんだよ。」

紋は左から、梅鉢・三つ巴・木瓜。

梅鉢は菅原道真公。三つ巴は久留米藩有馬家。木瓜紋はスサノオさんかな?

 

「ここでは兵隊さんたちが訓練してたんだ。」

「君は勉強熱心だな、この辺の歴史がまとめられた資料をあげよう、今から取りに来なさい。」

 

おっちゃん家までの道中。

「向こうにはズラリと遊郭がならんでたんだ。」

「この通り(下の画像 左から右へ)は筑後川まで突き当たってて、両脇は松林だった。」

 

[おおかわの歴史]もろた(*´﹃`*)やったぜ!

「もっと知りたければ風浪宮に行きなさい、大川の歴史のすべてが残さてる。

宮司はアズミ君という、私の名前を出せば話が早いだろう。」だって。

 

おっちゃんは用事が入ってるそうで、ここでお別れ。ありがとうございましたm(__)m

若津神社へ戻って見学の続き。

 

狛犬は 國益マオラン株式會社 昭和六年五月吉日建立。

 

拝殿の前に由緒書きがあった。

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若津神社(三柱神社 白峰神社 合祀)鎮座地 大川市大字向島二千八十九 二千九十合併番地

祭神 素戔嗚命 菅原道真公 有馬頼徸公

由緒 創建年代は不詳であるが、明治三十二年の改築の折、素戔嗚命を祀る若津祇園神社に当時の境内社天満宮(菅原道真公)と境内祖霊社有馬頼徸公とを合祀し三柱神社とした。

一方の白峰神社は往昔若津港の守り神として、地域の関係者が関西方面より御分霊を船に乗せ勧請されたお社で、昭和十年頃の国鉄佐賀線開通に伴い筑後若津駅通りの鎮座地より遷座し、当神社へ合祀された。

昔より「若津の祇園さん」として地域の信仰を集め、春例祭では有馬頼徸少将公に因み通称「少将祭り」として若津雲助道中や若津にわかの奉納行事などで賑わいを見せる。

又有馬頼徸公は数学の神様としての信仰が篤いことでもよく知られる。

※若津神社へのお問い合わせは宮総代会長若しくは風浪宮まで

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おおおおお!昇開橋の駐車場わきにあった[白峰神社聖祉]は、こっちに移ったからなのね٩(ˊᗜˋ*)و

 

拝殿前の鳥居、神額に表書きがないぞ(⦿_⦿)!?

 

額の裏に回ると何やらうっすらと彫りが残ってる。[額 上町 子供中]かな?

 

拝殿でお参りして、天井を見上げるとコレ。風浪宮にもあった、たぶん方位磁針コンパス羅針盤。あっちのはもっと綺麗で色がついてたけど‥。

海系の神社には定番の奉納物なのかな?

 

拝殿の引き戸のココだけちょっと開く。ここから中を覗く。この細工さすが家具の町よね(*‘∀‘)

 

拝殿内はキレイ!床はツヤツヤ!青々した榊が供えられてる!不用品置き場になってない!やったぜ\(^o^)/

 

久留米 第七藩主 有馬頼徸公ノ像

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有馬頼徸公について。

久留米藩の七代藩主有馬頼徸公は享保十四(一七二九)年、父の隠居により十六歳で家督を継いで藩主となりました。

徸公は飢饉が起こった時、領民を救うため、救済金や救済米を施しました。

さらに優れた意見を求めるため、目安箱を設置したり、庶民の娯楽として猿楽の興行などを奨励したりしました。

また、徸公は学問にも長けており、特に優れていたのは和算でした。

和算を成立させ算聖と崇められた関孝和の弟子、山路主住について学び、その後、四〇種ほどの本を書きました。

とくに「方円奇巧」は円の研究は世界に誇る本です。

この本には円周率の計算が行われていて、八二桁(これ以前は五二桁)まで算出しています。

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確か久留米の梅林寺外苑に久留米藩有馬家代々の御墓があったな!

御墓は見学したけど、まだブログの記事にまとめきれてなかったわ(;´∀`)

 

本殿。

 

最初に入った鳥居とは別の鳥居。神額には白峰神社、柱には皇紀二千六百年 昭和十五年十二月吉日と彫ってある。

この風景 知ってる気がする。昔に訪れてことがある気がする。

 

神社の敷地に併設されてる上町公園(祇園さん)。

ここは神社とグラウンドと公園がくっついてて広かった。

広い敷地にたくさん椅子があった、利用者が多いんやろなぁ(*´﹃`*)憩いの場みたいになってんのかな?

おわり。

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