福岡県大牟田市新港町1-25にある[旧長崎税関三池税関支署]を見学してきました(∩´∀`)∩
旧三税関署のすぐ近くには旧三池炭鉱専用鉄道敷の一部が残っています。
三池港のほとりに在って、大型船や、ダンプカーが働いていました。
駐車場・トイレあります。
三池港展望所から、県道736号線を通って旧長崎税関三池税関支署までバイクで2分。
赤いダンプカーについて入ると税関があります。
[世界文化遺産]の旗が立ってるから分かりやすい(*‘∀‘)
県道から入ると、正面に小さい建物(旧三税署)が見えます。
思ってたよりずいぶん小さい建物。廻りの工場が大きいだけかな?
道路から入って右側は三池港船渠、デッカイ船が居る(*´﹃`*)
船の名前は[光駿丸]、液体化学薬品を積んでるみたい、危険物荷役中の表示がある。
この船は、三池港展望所にいた時に閘門から入ってきたアイツだな٩(ˊᗜˋ*)و
光駿丸は青野海運株式会社所属の液体化学薬品ばら積船です。
青野海運は愛媛県新居浜市新田町1丁目1番17号にある会社で、
特殊タンク船輸送のパイオニアとして多数の船舶を運航させております。
港のフェンス沿いには、硫酸の配管が走ってる。
フェンスの向こうには、デッカイ船が作業してる(∩´∀`)∩
あの黄色い目立つヤツは[大金剛丸]やん!
青い船の[第二おりいぶ小豆島]は何を積んでるんやろか?
旧三税署の前にあの辺を見学しようε=┌( ´∨`)┘
旧長税関の手前には、三池港硫酸センターがあります。
硫酸の配管はココにつながってるんやね(∩´∀`)∩
光駿丸が積んでる液体化学薬品って硫酸やったんかな?!
ぇ‥。
大金剛丸たちがいる所は許可者以外立ち入り禁止やった_:(´ཀ`」 ∠):.
そや!立ち入り禁止なら、泳いで入ればイイんやん!
コノ日は10月、晴れた昼間!十分泳げるやん\(^o^)/
さすがコノ俺様の優秀な脳細胞!いい仕事するやん!
しかし、一般常識に毒された体がそれを許さない…。
三池港展望所のガイドさんが「大金剛丸は大変貴重なもの」って言ってたからゼヒ見てみたかったんやけどなぁ:;(∩´﹏`∩);:
しかたない、案内板だけで我慢やな…
案内板より。
大金剛丸
明治38(1905)年に大阪の築港会社から、
中古で購入された日本最古級の浮起重機(クレーン船)です。
おそらく三池港築港の作業用として購入されてと考えられます。
エンジンがないため自走はできません。
船体は長さ30m、幅9.75m、船体は木製でした(1962年に鋼鉄製に変更)。
起重機(クレーン)部分は、イギリス・リバプールのJ.H.ウイルソン社製と歯車に刻印されており、
このクレーンを動かす原動力は今も石炭を燃料とする蒸気式ボイラーです。
この蒸気式ボイラーは圧力が上がるまでに約2時間かかりますが、
最大吊上げ能力15トンを誇り、
現在も小型作業船の引き上げやブイなどの補修点検作業など現役で稼働しています。
なんやかんや言うとりますけど、目的の旧長崎税関三池税関支署の正面ですm(__)m
思ってたよりキレイに残ってる(๑´◡`)
しっかりメンテナンスされてるんやろな。
案内板によると、
旧長崎税関三池税関支署は、三池港開港と同時に明治41年に開庁、
昭和40年3月まで税関として57年間使用されました。
木造平屋建て、面積124.40㎡、入母屋造角屋付。
屋根は桟瓦葺としています。
窓は上下に開き、下見板張りの外壁で、
受付窓口もカウンターが残るなど当時の様子をうかがえます。
税関という行政機能・役割を持った建物が、
荷役を集積する港と一体となって、
三池港の歴史や機能を理解することが出来ます。
全国的に見ても、明治期の税関庁舎は5棟しか現存せず、
石炭産業における海外貿易の重要性を物語る施設として、貴重な文化財です。
明治41年は西暦1908年、今(2018年)から110年前のもの建物。
よぉ残っとるよね(*´﹃`*)いにしえ~
正面の入口から入ると、受付窓口っぽい作りになってます。
長机にはパンフレットが四種類あります。
左側を見ると、ガイドさんがいるであろうデスクがある。
建物周囲を見回ったんやけど誰も見当たらなかった。
スクーターが1台止まってたから誰もいない事はないんやろうけど…?
三池港展望所のガイドさんは、ここにもガイドが居るって言うてたんやけどな(;’∀’)
勝手に見学していいんかな?
せっかくなら色々と案内してほしいんやけど。
しばらく待ってたけど、誰も来ないから勝手に見学しました(;´∀`)
受付窓口の奥は、ショーケースや案内パネルがあり、
三池炭鉱関連施設紹介映像が流れていて展示室のようになっています。
なぜ「長崎税関」なのか・・・パネルの内容↓
長崎税関は明治6(1873)年一月に長崎運上所を「長崎税関」と改称したのに始まります。
翌年には、各税関の職制が定められ、横浜税関本局の称を廃し、各港税関が独立します。
三池港開港まで長年にわたり石炭を積みだしていた口之津にも明治11(1878)年5月に石炭輸出港として指定され、取締所が設置されました。
長崎税関は九州・沖縄ばかりではなく、下関までその管轄区域に入っていましたが、
明治23(1890)年に下関出張所のすべてを神戸税関に引き継ぎ、
同年11月以降、勅命204号によって九州・沖縄の12カ国の沿岸がその管轄区域となりました。
そして、明治42(1909)年11月には門司税関支署が門司税関として独立、
筑前、備前、豊後の参加国が移管されました。
窓際にはイスと机があって、三池港が覗けます。
シャンデリアやソファーは当時のものなのかな?
しかし、100年以上前に建てられたくせに、築30年の我が家よりも良い状態とは生意気な(-“-)
窓から見える、三池港船渠の光駿丸。
壁際には、黒い石があった。これが石炭なんかな?
ガイドさんが居たら、すぐ分かるのに(´~`)
近代化産業遺産三池炭鉱関連施設のプロモーションビデオが流れてる。
奥には小部屋が二つ。左の小部屋はキレイ。右の部屋はボロい。
ボロいへやには古い看板と、[三税支署修復写真コーナー]がある。
かんばんは三枚。左から、
[政府指定倉庫 三井三池港務所10号倉庫]
[三池ポートサービス㈱ 渠内事務所]
[三池港運 渠内事務所]
修復写真コーナーの一部。
この建物は修理してたのね(;’∀’)
しかし大規模な修理やな、
基礎打ち直して、構造材も新品を使って作り直してるみたい‥
ここまでやると修理というより建て替えやろΣ(OдO;)!?
「100年前の建物なのにキレイやん(*´﹃`*)」とか言ってた僕の心は死にました。
ご冥福をお祈りいたしますm(__)m
室内を一通り見学したけど、観光客もガイドさんも誰も来ない(;’∀’)
営業してるんよね?
旧長税関の隣には鉄道敷きが残っています。
旧三池炭鉱専用鉄道敷の案内板によると、
明治11(1878)年に、当時石炭搬出港だった大牟田川河口の大牟田港と大浦坑の間に馬車鉄道が施設されました。
その後、明治24(1891)年に本格的に蒸気機関車が導入され、
明治30(1897)年には九州鉄道線と直結、明治33(1900)年に七浦坑~宮原坑~万田坑が開通しました。
さらに、明治38(1905)年には築港工事が開始された三池港までの全線が完成し、
最盛期には総延長150kmにも及びました(閉山時総延長45.9km)。
昭和59(1984)年までは通勤者を運ぶ通勤鉄道としても活躍し、
市民に広く親しまれ、現在も三池化学専用鉄道として一部が稼働しています。
鉄道敷きを伝って歩いてると、ガイドさんらしき人が庁舎に入っていきました。
目があった気がして会釈してみたけど、スルーされたから もう次の目的地(あいあい広場)に向かいます。
あいあい広場からも三池港の閘門が見えるらしいから楽しみ(*‘∀‘)
最後に。
旧長崎税関三池税関支署の修復前の写真が載っているページです。
ブログを書くにあたり、ここにはガイド居ないのかな?思って調べてたら、こういう意見がありました。
誰もいないのに、挨拶もされずボランティアの感じも悪かった。 5分で見終わる。
https://www.tripadvisor.jp/より引用。
ガイドさんも人間やし、いろんな人が居るみたいね(;´∀`)
今回は30分くらいガイドさん居なかったし、ここはあんまり案内をアテにしないほうが良いのかな?
三池炭鉱関連の記事です。
おわり。
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