福岡県大牟田市宮部486-2にある[高良神社]を散策してきました(*‘∀‘)
神社は丘の上にあって、石碑と小さな祠が一緒にまつってあります。
駐車場とトイレはありません。
高良神社は、県道93号線沿いの丘の上にあります。
県道から民家の方に入ると、神社への階段が有ります。
もう少し奥に進むと、自動車用の登り口があります。
ここに車一台分くらいのスペースがあります。
登り口にはチェーンがかかっていて普段は登れないようです。
僕はバイクなので脇から登りました。
高良神社
バイクを止めて、神社入り口から階段を登ります。
鳥居には、明治廿一年旧三月十日と刻まれています。
鳥居を過ぎると、石灯籠が現れます。
灯籠は大正四年四月二十二日の建立で、日獨戦役従軍者氏名が刻まれています。
四隅だけ端が広がってる珍しいデザイン!初めて見た(^^♪
また、階段を登ると、今度はこま犬が居ました。
基石には、[明治三十七八年 日露戦役従軍者]と従軍者氏名が刻まれています。
この中台の形も珍しいね、段々じゃなくて斜めになってる。
この狛犬、どっかで見たことあるような‥?
と、思って石工を探してみると[石九幸一 猿渡平四良 石九■生]とあります。
石九幸一は、九州最大の狛犬をつくった石工[石九幸市]と同一人物かな?
狛犬の段から一段上がった先にお堂があります。
お賽銭箱や鬼瓦には三つ巴の紋が描かれています。。
お堂の裏は広場になってます。
今村長義先生頌徳碑
石碑は[今村長義先生頌徳碑]です。
石碑の座にはコノ碑の由緒書きが刻まれています。
刻まれた文字を起こしています、長文です。
下に要約を載せているので、あんまりアレな人は飛ばしてくださいm(__)m
今村長義先生ハ明治十三年五月十八日旧柳河藩ノ名門今村広門氏ノ長男トシテ大牟田市宮部ニ生レ
昭和廿六年七月丗一日七十二才デ永眠サレタ
ソノ始祖宗嘉氏ハ天正十四年筑前岩屋城■戦死
三代重長氏ハ正保年間宮部村ノ荒地ヲ開墾シ
五代五郎兵衛長利氏ハ延宝年間有明海ノ干拓ヲ遂行シ
嚴父広門氏は大石神影流ノ道場ヲ宮部ニ開キ文武両道ヲ指導サレタ
令息基雄氏ハ医学博士トシテ福岡市デ医ノ仁術ヲ施シテイラレル
先生ハ今村家十五代ノ裔孫デ祖先ノ英徳ヲツガレ人格高潔資性温順師表中ノ師表デアツタ
即チ明治丗三年三月柳河傳習館卒業後仝年五月三池郡立銀水高等小学校教師トシテ■セラレ
爾来昭和五年三月マデ約丗年ヲ同校ニ奉職サレタ
コノ間無慮数万人ノ教エ子ヲ導クニ專心誠意孜〃トシテ倦マズ名誉モ地位モ欲セズ
唯一筋ニ生徒ノタメ心骨ヲ碎カレタノデ教エ子ハ今不惑還暦ヲ過ギテ尚先生ヲ尊敬シ
遺訓ニ鑑ミ全世界ニ雄飛活躍シテイル
近年師弟一如ノ精神乏シイ折柄先生ヲ敬慕スルコト一入デアル
茲ニ一同感謝ノ真心ヲ捧ゲソノ高徳ヲ後世ニ傳エルタメ先生ノ頌徳碑ヲ建設スル
昭和丗二年七月丗一日建之 生徒有志一同
あ゙゙ーー長かった!
もー、こういうの入力するのは大変なんよねぇ(>_<)
旧字体交じりの片仮名使いやから変換作業がいっぱいで…_:(´ཀ`」 ∠):
由緒書きの要約
「今村長義という立派な先生がおりました。
先生は明治三十年に伝習館を卒業して、
三池郡立銀水高等小学校の先生として三十年間勤めました。
先生は地位も名誉も欲しがらず、一筋に生徒のために力を尽くす先生の中の先生でした。
教え子たちは60歳を過ぎても先生を尊敬しています。
先生の高徳を後世に伝えるために頌徳碑を建てました。」
由布淡水大神帷
もう一つの入口、県道から直で生えてる急階段からら丘を登ると、石灯籠が三つあります。
灯籠の一つは柳河村の庄五郎さんが嘉永二年己■三月十七日に奉納したもののようです。
灯籠の先には小さな祠が有ります。
屋根には卍が彫られています、コレはお寺の扱いなのかな?
この祠は、四ヶ村の石工 儀平さんが作ったもののようです。
祠の側面には[嘉永二年 奉建立 由布淡水大神帷次 酉二月■]と刻まれています。
嘉永二年は西暦1849年、今(2018年)から169年前に作られたもの。
高良神社よりも、この祠のほうが古いんやね(*´﹃`*)
神様を祭ってるなら神社よね?
でも、卍はお寺のマークよね(´~`)?
そんなことより由布淡水大神って、宮部に大きな堤を作った由布さんのことかな?
淡水を溜める堤を作った功績で神様になったんかな?!
おおおおおおおおおお、たーのしー(*‘∀‘)!
由布さんについては、この記事でチラッと触れています。
おわり。
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