あてなく柳川市をブラブラしててたどり着きました長命寺\(^o^)/
電柱に[アサヒしょうゆ]の看板(@o@)!
アサヒ醸造ってココ(長命寺のとなり)にあったんか!藤井さんお世話になっておりますm(__)mありがとうございます。
上の画像の右側に移ってるお地蔵様。
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言傳 盃状穴(はいじょうけつ)
古くは子孫繁栄や死者の蘇生を願ったものとされ、後には魔よけの目的で神社や寺の石に彫ることが多くなったといわれている。
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この皿みたいな石のことかな?皿石の表面にあいた凹みのことかな?
凹みのことやったら、神社の灯籠とか狛犬の台座にもこんなんあいてるやん!あれか!
水が滴って水滴で、ほげたんやと思ってたわΣ(゚□゚*)勉強なるわぁ~。
仁王門。右に見えるのは地蔵堂。左側は駐車場。
駐車場。
お地蔵様の皆さん。
六道地蔵 弘化四(一八四七)年再建 発企主 橋本治作殿
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六道地蔵(真言、おんかかかびさまえいそわか)
お釈迦様の死から弥勒菩薩の出生までの五六億七○○○万年間の無仏の世界で仏代わりに衆生を救うのがお地蔵さまと言われている。
六道地蔵は、六道(地獄 餓鬼 畜生 修羅 人 天)に能力分身して衆生を救うといわれている
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地蔵堂のとなりにある[言傳 即身成佛入定塚の礎石]
仁王像前。御爺様がワンころを散歩させてた(*´﹃`*)
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仁王像 元禄八年(一六九五)
仏師 東仏 伝基 氏作
仏法・仏域守護神
右は蜜迹金剛[みつじゃくこんごう](開口の相)
左は那羅延金剛[ならえんこんごう](閉口の相)
といい、いわゆる阿吽の相である。
仁王様の頑強な身体にあやかりたいとの願をかけてまいる人が多い。
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でっかい草鞋(わらじ)がいっぱいブラ下がってる、、縁起物かな?
仁王門を入ったところ。
寺院縁起
- 発祥 往古は三池郡舞鶴城内にあった
- 享保十七(一七三二)年 中興開祖西戒壇第八世覚城光和尚が椿原町に再建
- 元文二(一七三七)年 天台宗 青蓮院門跡(京都)の直支配となる。
- 延享三(一七四六)年 立花道印公(第五代藩主貞俶公の実兄)別荘地を寄付。椿原町より現寺地に移る。道印公 本尊不動明王並びに秘仏大聖歓喜天を寄進
- 明和三(一七六六)年 第七代藩主鑑通公の祈祷寺となる。鑑通公 秘仏毘沙門天王を寄進
- 明治五(一八七二)年 学制発布 観設小学校が長命寺を校舎として開校
参道の右には石碑がいっぱい。
左の立て看板、[久我対馬■大蔵朝臣久貞逆修碑 天文六年(一五七八年)信長四才 秀吉二才の頃]
右の立て看板、[文禄の断碑 文禄二年(一五九三年)宗茂公ニ七才の頃]
左の立て看板、[庚申の石塔 万延元年(一八六〇年)桜田門外の変の年 旅人を守るといわれている]
右の看板、[道祖神 悪霊や敵の侵入を断ち切る神]
発起神 発起菩薩心 佛門に入る人を先導する道神
石碑群の奥には小屋があって、石碑 石像が収められてる。
カラスがいたずらするそうでネットがかけられてる。近くで見れなくて残念(僕は視力が弱いから)。。
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摩訶般若波羅蜜多心經
觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時輝見五
蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
異色色即是空空即是色受想行識亦復如
是舎利子是諸法空想不生不滅不垢不浄
以下略
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あー、なるほどね。完全に理解したわ(゜∀。)?
下の画像の真ん中、五輪塔。
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五輪塔(平安末期 鎌倉初期)
上から 空、風、火、水、地の「五大」即ち「五輪」を表わしている。
火の部分が三角になっているのを 特に三角五輪塔といい めずらしい。
しかも一石で五輪塔全部が造られているのは数少なく珍しいといわれている。
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もっと色々見て回りたかったけど、イベントやってるみたいでお客さん入ってたから遠慮してココまで(;´∀`)
「お参りに来てくれた人にプレゼントしているの」と、おば様に何かもろたヽ( ´ー`)ノ
中身は、長命寺特製の御煎餅。ありがとー!ごちそうさまでした٩(ˊᗜˋ*)و
朝も早よからお邪魔したのに、チラホラお客さん居った。
近所の人々の溜まり…憩いの場になってるのかしら(*’▽’)?
おわり。
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