柳川藩立花家500年の歴史資料5000点超を収蔵する[立花家史料館]新外町1

福岡県柳川市新外町1 立花家史料館 絵画 巻物 陶磁器 柳川市

福岡県柳川市新外町の[立花家史料館]を見学してきました\(^o^)/

柳川藩主立花家が代々所蔵する歴史的な資料(刀用具・鎧・絵画・民芸品など)が展示されていました。

場所は[立花氏庭園]と同じ敷地内です。

立花氏庭園は国指定の名勝で、豪華な西洋館と大広間と日本庭園て構成されています。

立花家史料館の入場チケットで、庭園の方も見学できますよ(∩´∀`)∩

入場料大人一人500円

開館時間9:00~18:00

立花家史料館について

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旧柳川藩立花家別邸・御花は、江戸時代には「御花畠」と呼ばれ、元文3年(1738)頃に藩主とその家族が住まう場所として整えられました。ここには、長い歴史を経てなお立花家に継承されてきた大名文化が今も息づいています。

中略

400年に及ぶ変転の歴史の中、たったひとつ変わらなかったことは、立花家の人々がここに留まり、資料が維持されてきたという事実です。

旧大名家が暮らした土地と歴史的建築物群という<空間>、大名道具という<モノ>、立花家文書をはじめとする<記録>という三つの要素に加え、それを伝えてきた立花家の<くらし>というすべてがここに残されてきたことは、現代においてほとんど奇跡的と言ってよい幸運と言えます。

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入ったらカメラが故障して色々と操作が効かなくなった。゚(゚´o`゚)゚。

ここに来る前に寄った[からたち文人の足湯]では問題なかったのに‥ナンテコッタイ/(^o^)\

入場チケット(当日限り有効)です↓

はい、ピントが合ってない(;_:)

 

入って正面には、誰かのパネルと木製置楯と金箔押桃形兜が展示されてます。

 

木製置楯(もくせいおきたて)は、6㎝もの厚い板を縦に合わせた二枚を、鉄製蝶番でとめた大型の楯。一枚が縦152㎝・横56㎝の楯は非常に重く、運搬の苦労がしのばれます。

 

金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)は、桃山時代に初代藩主立花宗茂が一体全員にそろって着用させたもの。現在は200頭以上が残されていて、史料館のほかには立花氏庭園の大広間に続く廊下に展示されています。

 

団体さんと、ほか三組のお客さんが居て繁盛してた。

あつまる!アニマル!たまに‥おばけ?展

ヒョウの絵。「文政十一年戊子十一月」って書いてある。

このころは日本にも野生のヒョウが居ったんかな(*´﹃`*)?

 

馬の絵がたくさん。このころは動物と言ったら馬やったんかな?

このころ←ってイツか知らんけど(;’A`)

今なら犬猫よね(*‘∀‘)

 

芸州武太夫物語絵巻

(げいしゅうぶだゆうものがたりえまき)

この作品の説明:へいたろうと おばけの、30にちかんの たたかいを かいた まきもの

つくられた時代:およそ200ねんまえ

へっちゃら へいたろう

へいたろうは、ひろしまに すむ 16さいの げんきな おとこのこ。

これから はじまる なが~い まきものは、およそ250ねんまえに あった、へいたろうと おばけとの、30にちかんも つづいた、こんくらべの おはなし。

 

13にちめの よる、みんなで そうだんして、おばけよけの ために、おてらの おたからを かりてくることに なりました。

めしつかいの おとこが、おてらに いくことに なりましたが、あしが かたまってしまって、ちっとも まえに すすめません。

へいたろうが、ともだちの へいごろうと おてらへ むかうことに なりました。以下略。

 

14にちめの よる、かってに きねと うすが うごいています。「はくまいに なると いいな」と、げんまいを いれる へいたろう。

よなか、てんじょうが おばあさんの かおに かわり、ながいべろで べろんと なめてきます。だけど へっちゃら へいたろう。

あさには がっかり、ゆうべの こめは、はくまいには ならず げんまいの まま。

 

多分この絵は柳川城を描いたもの。良く似たものが日吉神社にあった٩(ˊᗜˋ*)و

女乗物

江戸時代、移動用の乗物は、身分によって区別されていました。金蒔絵で装飾された華やかな駕籠は「女乗物」と呼ばれ、大名クラスの婦人しか使えませんでした。

 

この女乗物は、梅唐草文様に二重の祇園守紋が蒔絵であらわされ、柳川藩主夫人の所用とみられています。

 

立花家の人々

ここでは[立花宗茂]と [誾千代]と [戸次道雪]を紹介していますm(__)m

この三人は、三橋町の三柱神社に祀られています\(^o^)/

 

立花宗茂(たちばなむねしげ)

誾千代の婿として望まれ、立花山城に入ったのが高橋紹運の長男、弥七郎統虎、のちの立花宗茂でした。誾千代は数え年十三歳、宗茂は十五歳です。

こうして、六年間つとめた立花山城主という役目は夫となった宗茂に引き継がれることになります。

天正十三年(一五八語)九月、父戸次道雪が筑後北野の陣で没します。誾千代十七歳の時でした。

 

戸次道雪(べっきどうせつ)

近世大名・立花家の祖となる戸次鑑連(後に入道して道雪と称す)は、永正十年(一五一三)、豊後国大野郡の藤北岳城に生まれました。

大永六年(一五二六)には戸次家の家督を継ぎ、天文十九年(一五五〇)にはその家督を甥の鎮連に譲ります。しかし、大友義鎮(後の宗麟)の重心として政治・軍事的な活動が本格化するのはこれ以降のことになります。

って、紹介文に書いてある。なんのこっちゃ分からんけど、歴史好きな人は楽しめるんやろな(´~`)

 

誾千代(ぎんちよ)

誾千代肖像(良清寺蔵)

誾千代(1569~1602)は、永禄12年(1569)、戸次道雪と問注所鑑豊の娘との間に生まれました。天正3年(1575)、数え7歳の時に父道雪から立花城の家督を譲られています。

天正9年、道雪は高橋紹運の長子統虎(後の立花宗茂)を誾千代の婿として迎え、翌10年に「立花」の名字を許しました。誾千代は宗茂の柳川復帰を待たず敬重7年(1602)に亡くなりました。

 

歴史の武具甲冑

~戦の時代~

これこれ!こういうのを見たかったんよねぇ(∩´∀`)∩

 

伊予札縫延栗色革包仏丸銅具足

(いよざねぬいのべくりいろかわつつみほとけまるどうぐそく)

あぁ、ガラスが反射してきれいに撮れない(つ﹏<。)

 

畳具足の 櫃

(たたみぐそくのひつ)

鉄のパーツを鎖で繋いで作った畳具足や提灯兜は折り畳んで収納することができ、このような小さな櫃に具足すべてが収まってしまいます。

島原の乱に備えられたことが記録されています。

 

鉄錆地桜文亀甲鉄繋畳具足

(てつさびじさくらもんきっこうがねつなぎたたみぐそく)

畳具足ってことは、これは先の櫃に収納できるのか(⦿_⦿)!?

 

鉄黒漆塗萌黄糸素懸威最上銅具足

(てつくろうるしぬりもえぎいとすがけおどしもがみどうぐそく)

こんなゴテゴテしたものを着てチャンバラやってたのかな(@o@)?

 

赤銅蜻蛉図金象嵌大小縁頭

(しゃくどうとんぼずきんぞうがんだいしょうふちがしら)

この作品の説明:かたなの さやに つける、トンボの かざり

つくられた時代:およそ 200ねんまえ

作った人:そのべ よしつぐ

 

鉄地螳螂金象嵌鍔鐔

(てつじかまきりきんぞうがんつば)

この作品の説明:カマキリの えが ついた、かたなの つば

つくられた時代:およそ 250ねんまえ

 

黒漆塗合口拵・金形彫虎目貫赤銅野牛図象嵌小柄

(くろうるしぬりあいぐちこしらえ・きんかたちぼりとらめぬきしゃくどうやぎゅうずぞうがんこづか)

この作品の説明:とらの かざりが ついた、かたなの いれもの うしの えがついた、ちいさな ナイフ

つくられた時代:およそ250ねんまえ

 

黒変わり塗鮫着柄容彫二匹犬目貫

(くろかわりぬりざめきせつかかたちぼりにひきいぬめぬき)

二匹の犬がじゃれ合ってるような形です。

あぁ、ピントが合わない。かなしい_:(´ཀ`」 ∠):

 

黒猪毛逆頬箙

(くろいげさかつらえびら)

この作品の説明:とんぼの かざりが ついた、やを はこぶ いれもの「ゆみやのどうぐ」

つくられた時代:およそ200ねんまえ

エビラの黒いフサフサは、黒いイノシシの毛が使われてるのかしら?

おわり‥?

刀は?火縄銃は(-“-)?

ホームページでは長光とか兼光とか雷切があるような雰囲気やったんやけどなぁ‥(´^`;)

 

ほら、ゲームかアニメかで刀剣乱舞っていうタイトルがあるやん?

あれで刀剣類が人気やって聞いたから、それにあやかってブログの集客に使おうという下心があったわけよ。。

残念やった。。

おわり。

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