福岡県みやま市瀬高町本吉1120にある[清水三重塔]付近をウロウロしてきました(*‘∀‘)
トイレと休憩所は、ここから徒歩三分の距離にある清水寺のものを使ってくださいm(__)m
駐車場は離れたところにあります。そこからココまでは歩きです、歩きの道中は色んなモノがあるから散策気分で楽しいですよ\(^o^)/
なかなかイイ写真が撮れたわ(๑´◡`)
空の青がバシッと出てたら満足なんやけどなぁ(*´з`)
清水三重塔は本来寺院のシンボルで釈迦佛の遺骨を納めて礼拝する信仰の対象物であります。
この塔は文政五年(一八二二)柳川十代藩主立花鑑賢公領内住民近国の信者の寄進により
柳川大工宗平衛が大阪四天王寺の五重塔を手本に二千両をかけ十四年の歳月を費やして
天保七年(一八三六)完成したものであると伝えられています。
柳川十代藩主立花鑑賢公っていう名前は、柳川の三柱神社で見かけたぞ!
そこでは鑑賢公は九代藩主って書いてあったけど…過去が変わったのかな(゜∀。)?
昭和三十年三月五日 福岡県文化財指定。
肉眼で見るとキレイなのに‥逆行が強くて上手く撮れない_:(´ཀ`」 ∠):
塔の高さは初層まで五・五米二層、三層はそれぞれ四・五米 屋根に立つ相輪まで二十七米であります。
米はm(メートル)のことね。
屋根のてっぺんの避雷針(相輪)めっちゃカッコいい!なんかビームとか出そう(*´﹃`*)
天台宗密教の建築様式により設計されており創建以来百数拾年の風雪に耐えて来ましたが
近年に至り白蟻の被害の為倒壊寸前に合ったところ、この間町を上げて復元奉賛会を組織し
県内はもとより遠く東京、名古屋、関西方面の有志の寄進により
櫻、楠等四百石(一一〇立法米)の木材が使用され芯柱、四天柱、側柱、床板等は古材を用いて原型をそのまま生かし
補修の跡が目立たないように工夫され昭和四十一年十一月に完成しました。
塔の奥には、清水三重塔復元奉賛会寄附者御芳名を刻んだ碑が有ります。
[清水公園]と刻まれた石碑。
地主権現
三重塔のすぐそばの階段を登ると地主権現が有ります。
コンクリートブロックの上に仏様置いてて、なんか雑(-_-)
地主権現から見下した乳父観音。
高いところから三重塔を撮りたかったけど、そっちの方向には木がモリモリ生えてて塔は撮れなかった:;(∩´﹏`∩);:
乳父観音
本吉山、清水寺の開祖 伝教大師(最澄)の弟子、円仁(慈覚大師)は、
唐より帰朝の途次、霊夢により、師僧、伝教大師の足跡をたずね、
世の子供たちが健全に育つようにとの願いを込めて、観音像を彫刻し、
嘉祥元年(八四八)堂字を建立し供養せられたと伝えられる。
爾来「乳父観音」と親しみ呼ばれ乳不足に或いは乳の病気に悩める女親たちの篤い信仰に守られながら今日に至っている。
お堂に奉納されている母子の像や布地の乳房等は御願成就のしるしである。
授乳シーンのイラストがいっぱい掛けられてる。
大正二年とか昭和三年とか古い絵が残っててイニシエ(*´﹃`*)
お乳掛所。
名前は隠してますm(__)m
お乳掛所の脇にある水盤。[天保十五辰申歳 三月吉辰]と刻まれています。
社の奥には石仏がいっぱい。
三十三人の石仏。これは西国三十三か所巡礼に対応していて、
各台座には開基と札所の番号と寺院名が刻まれています。
ココから徒歩3分の所にある清水寺は[第十六番札所]です。
台座には、左から[卅三番 谷汲寺] [卅二番 観音寺] [三十一番 長命寺] [三十番 竹生島]と刻まれてて…
おおおおおお![さんじゅう]って[卅]って書いたのか!
でも、三十と三十一は三十って書いてる。なんで?!
彫り間違いかな?と思って、二十番台を確認してみると…
下の画像は二十番から二十四番まで。二十二番以降は[廿(にじゅう)]が使われてる!
ここでも、二十と二十一までは二十を使ってるやん(⦿_⦿)!
こういう発見たのしー(*´﹃`*)!
おわり。
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