筑後三大神社の1つ 有明海守護神を祀る[風浪宮]酒見726-1

福岡県大川市酒見 風浪宮 拝殿 灯籠 大川市

福岡県大川市酒見726-1にある[風浪宮]を見学してきました\(^o^)/

重要文化財が二つもあって、御神木は天然記念物、各建物や碑は手入れされていて綺麗、駐車場もトイレも休憩所もあるのでユックリ散策できますよ╭( ・ㅂ・)و ̑̑̑

 

風浪宮由緒

住吉大神・息長垂姫命(神功皇后)

御祭神 少童命(底津少童命・中津少童命・表津少童命) 高良玉垂命

神験 交通安全、勝運守護、諸願導き之神

鳥居には[大正三四年戦役凱旋記念 陸軍大将神尾光臣〇下書]と彫られています。

 

古代海洋族長として古事記等で知られる初代神主安曇磯良丸より連綿と受け継がれてまいりました当風浪宮は、玄界灘を望む福岡市志賀海神社や長野県安曇野市の穂高神社と同族として御鎮座一八〇〇年を数える古社であります。

又、当時の有明海と筑後川の境(汽水域)を向いて鎮座されて以来海上安全・勝運・導きの神として尊崇されてまいりました。

 

参道左側の手水舎。

 

参道左側にある祇園社

御祭神は、素戔嗚命(スサノオノミコト)をお祀りしており、厄除け・悪疫退散等の御神徳を仰がれています。

 

参道右側にある絵馬殿。一般的な手のひらサイズの絵馬はありません。

 

見上げると、巨大な絵馬が数枚掲げられてますΣ(゚□゚*)

残念ながら、今はもう色あせて何が描かれているのか分かりません:;(∩´﹏`∩);:

若津神社のおっちゃんにもらった本[おおかわのれ歴史]によると、庄分の船大工が寄進した船の模型が絵馬堂に吊るされてるはずなんやけど‥気付かなかった(*_*;

この船の模型は、技術の優秀さを物語るものらしい、次に訪れるときには気を付けて見ておこう(;’∀’)

 

神橋と神門。

 

神門に掲げてある額には[風浪宮 内閣総理大臣 中曽根康弘書]。

 

拝殿。逆行で上手く撮れない(´~`)

 

 

木彫りの像は安曇磯良丸(あずみいそらまる)です。

磯良丸は少童命を祖神とする海洋族の酋長で神功皇后の三韓御親征の砌、志賀島に召されて軍船を整え海上指揮を使え奉りて無事大任を果たした航海熟達の海士であります。

太平記に見る磯良丸は竜宮に住んでいたが神功皇后のお召しに従って大海亀に跨って香椎ヶ浜に出現し皇后の三韓御親征に干珠満珠を捧げて従軍し御助成をしたと述べられています。

この像は磯良丸が多年海底の宮に住んでいたので身体中海藻や魚介類がとりついていたという魁偉なる風貌を彫ったものであります。

因みに安曇史久 現宮司は直系六十七代目を数えます。

 

お賽銭箱から天井を見上げると、こんなんが有る。これ若津神社(三柱神社)にもあった!

東西南北と十二支をなんかアレした八角形。中心に針があるから方位磁針コンパス羅針盤かな?海での移動に使ってた絡みかな?

 

 

本殿。廻りを塀に囲まれてるから、ここからしか覗けない_:(´ཀ`」 ∠):

しかし、桧川葺きの屋根なんて…まだ生き残ってるんやな(*´﹃`*)さすが国重要文化財。

永禄三年(西暦一五六〇年)蒲池鑑盛公再建 旧国宝指定 国重要文化財 風浪宮本殿

風浪宮本殿は、永禄三年 時の領主で筑後国南部に約十二万石を領した筑後十五城筆頭大名として筑後を治め、蒲池城を本拠としていた蒲池鑑盛公(蒲池氏第十六代)により再建されたもので、構造は、鎌倉時代の豪直な気風をよく徴し、三間社流造り、桧皮葺きで刀剣のごとき屋根の反りと朱塗りの本丸柱により、全体の重量を支えるなど、豪壮且つ巧みな手法がとられています。

県下では、英彦山神宮、宗像大社、太宰府天満宮などと同様、旧国宝指定群の中の社寺建築として知られ、平成二十二年に再建四百五十年祭を斎行。

又、平成三十年度には社殿の御屋根葺き替え、御塗り替え等の大改修工事が予定されています。

 

見て!この灯籠の細工!さすが家具の町・木工の町 大川!こんな手の込んだ灯籠は見たことないわ(∩´∀`)∩

新灯籠建立について

平成十七年三月二十日発生の福岡県西方沖地震により、当宮拝殿前の石灯籠一対が倒壊或いは破損する被害を受けましたが、地域の皆様の浄財等の御協力により平成二十年一月に木工の町大川にふさわしく木製にて欄間彫刻、組子建具等の匠の技を取り入れ、すべて大川各業界の手により見事竣工いたしました。以下略

 

門を入って左側には社務所。

 

拝殿本殿の左側には、重要文化財 五重塔と摂社・末社が並びます。

境内には国重要文化財御本殿(永禄三年一五六〇年蒲池鑑盛公寄進)、白鷺の楠として親しまれている県天然記念物の大楠があり、鎌倉時代は元寇の役後、足利尊氏公全国の国に一カ寺づつ国家鎮護の為に建立した筑後国利生塔(貞和三年一山四七年)がありました(現在廃寺)。

当宮は中世、風浪大権現を称し英彦山神宮や阿蘇神社と同様、神仏習合時代様子を色濃く残し、現存も鐘楼や南北朝時代後村上天皇(南朝)の元号正平年間(一三五五)が刻まれた国重量文化財石造五重塔等が往昔を偲ばせています。

 

右側には、天然記念物 白鷺の楠。

昭和三十五年福岡県指定 樹齢推定二千年 幹回り八メートル余。

風浪宮の御神木として古来崇められ別称を鷺見の楠と呼びこの酒見地区の地名の語源とされる。

社伝によると、神功皇后が御親征より御帰還の洋上で暴風の難に遭いながらも、少童命の御加護を得て無事に葦原の津、現在の榎津<得の津(えのつ)>に着かれたと言われる。その折、皇后の御船のあたりに忽然と現れた白鷺を御覧になった皇后があの白鷺こそ我れを風浪の難から守護し給うた海神少童命の御化身なりとして、竹内宿称にその後を尾けさせられた。

この白鷺は艮<北東>の方角に飛び立ってこの大楠の上にとまったのでこの地を聖地として少童命を祀らしめ、海上指揮を仕え奉った安曇磯良丸をして、この宮の初代宮司として留めたと伝えられている。

 

 

本殿の後ろには玉垣に囲まれた森があります。

入り口の鳥居にかかってる神額には[風浪神社]と彫られている。森に入ると草木が茂っているだけで碑や祠は見当たらなかった。

 

上の風浪神社の玉垣とは別の、風浪宮を囲う玉垣が一か所だけ引っこ抜かれてる?。

すぐ隣は大川中学校、通学路になってるのかな、ここだけ草が生えてない(゜∀。)?

 

一通り見学して帰ろうとしたら、神門の左側の■■■■■の部分に何か有るぞい!

 

近づいてみると、これΣ(゚□゚*)!

屋久杉木彫りが三基!手前から[虎] [龍] [七福神]。

全部平成二十五年九月吉日 大川市 佐藤操さんの奉納!すげー(*´﹃`*)

 

[龍]は細工が小さくて、写真映えしないからココには載せてないけど立派なものやったよ!是非見てみて!

 

あああ。ここは良かった(∩´∀`)∩

もっと色々見て回りたかったけど、この後 予定が入ってて長居できなかった。。

また来よう。隣の大川公園も散策したいし、その隣には筑後酒見城跡も有るしね(๑’ڡ’๑)

終わり。

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