バイクでブラブラしてたら[世界遺産 宮原坑→]の看板を見つけた\(^o^)/
看板をたどって到着しました宮原坑。
駐車場から丸見えの世界遺産。ここはトイレも休憩所もあるのでユックリ散策できますよ( ´∀` )
明治日本の産業革命遺産 世界遺産宮原坑 2018年6月17日
駐車場から少し歩くと、スタッフのお爺様が迎えてくれました。
パンフレットいっぱいもろた(*‘∀‘)
そして、「見学ですか?
なんの下調べも無く来たもんだから、驚いた(@o@)!
ただ近所を通ったから、
小学生なら仕方が無いヽ( ´ー`)ノ
小学生の女の子5人が案内してくれました。
この子達は「ブログに写真を載せてイイよ」って言ってくれてたけど‥
寒い時代よね_:(´ཀ`」 ∠):
三池炭鉱について
まずは三池炭鉱について説明してもらいました。
炭鉱で掘り出された石炭は、初めのうちは生活や仕事で使われたり外国に輸出してた。
後に、石炭をコークスにするときに発生するガスを化学製品にできることが分かって、大牟田には化学製品工場が増えたんやって。
炭鉱と化学工場で働く場所が増えて、人が増えて、店が増えて、大牟田市は大きくなったんやって。
ポンプ室
三池炭鉱は地下水がとても多くて苦労してた。
宮原坑は、地下水をくみ上げて出すことを主な目的として設置された炭鉱なんやって。
この建物の左側にでっかい配水管が3本残ってる。
↓の画像は、ガイドさんが説明に使ってる資料。
1893年当時の価格で22億円もする世界最大級のイギリス製排水ポンプ(デビーポンプ)を導入してたんやって、4台も!
炭鉱って儲かってたんやな(@o@)
櫓と巻揚げ機室まで移動。
第二竪坑櫓(たてこうやぐら)
下の画像はヤグラよりもガイドさんたちがメインみたいな写真になってる(;´∀`)
けど、イイの。主役は彼女たち(๑´◡`)
近所に木で作られた[第一竪坑櫓]があったけど、1931年に取り壊されたって(´~`)
第一竪坑櫓は黄緑の家の場所に在ったって。
これ、日本最古の鋼(はがね)で作られた櫓(やぐら)で、
地下160メートルくらいの深さまで続くエレベーターになってて、
人や石炭を上げ下ろししてたらしい。
ヤグラの高さは22メートル。画像右側の民家と比べると大きさが分かりやすいかな?
真ん中に走ってる溝は排水路ね。
巻揚げ機室
ヤグラのすぐ横、巻揚げ機室。建物の右下から生えてる鉄骨はヤグラの一部です。
画像右側のでっかいドラムに太いワイヤーが巻いてあって、
これでヤグラのエレベーターを上下させてたらしい。
ワイヤーは直径30ミリ以上あった、30ミリって何tまでいけるんやっけ?もう覚えてないわ(‘~`;)
下の画像は、室内からヤグラの方向を撮った写真。
室内からはヤグラの様子が見えない。
だから[メーターゲージ]を使ってエレベーターの高さ、位置を読み取ってたんやって。
下の画像真ん中に映ってる薄緑の箱とそれにつながる数字(10 20 30…)が書いてある板、
これがメーターゲージ。薄緑の箱には[運転監視盤]って書いてある。
三池炭鉱専用鉄道敷跡
右下に見えるのが鉄道敷の跡。
宮原港で掘り出された石炭は蒸気機関車や電車に乗せられて工場や港まで運ばれたんだって。
この鉄道で宮原坑や宮浦坑と三池港がつながれたことで、さらに多くの石炭を掘りだすことができるようになったらしい。
最後に
可愛い女の子に囲まれて幸せでした(∩´∀`)∩
こんなサービスがあるなら毎週通っちゃいそう。゚+.( °∀°)゚+.゚
ガイドさんたちありがとう。またドコかであったら遊んでね( ◜◡◝ )
画像が多くなりすぎたので、宮原坑は2ページに分けています(;´∀`)
もう1ページはコチラ→[ 世界遺産宮原坑2 ]
後日、また宮原坑を見学したときの記事です。
ガイドの三澤さんに教えてもらった色々を書いています、興味がある方はゼヒ読んでみてくださいm(__)m
ガイドさんの保護者の方々へ
「うちの子の写真を公開しないで!」とか、
「うちの子が写真OKしてるんだから顔のモザイクはずしなさいよ。」とか
「よく撮れとるやん、写真データちょうだい!」とか要望があればコメント欄にお願いしますm(__)m
コメントは私が内容を確認して[公開ボタン]を押さない限り、私以外には見えない仕組みになっておりますm(__)m
おわり。
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