岩戸山古墳の続きです。
古墳の頂上にある岩戸山大神宮にお参りしてきました(*‘∀‘)
岩戸山古墳は八女市本町にある九州最大級の前方後円墳で、[別区]と呼ばれる遺構が残っている大変貴重な史蹟です。
その古墳の後円部を見上げた写真↓
登れそうよね(*´﹃`*)
登るよね(∩´∀`)∩
「バカと何とかは高いところが好き💛」って言うし(*´罒`*)いひ♪
はぁ?そんなん言うたら俺が[バカ]みたいに聞こえるから、失礼だろーが( `o´ )
こういう時は「何とかと煙は高い所‥」って、[バカ]の方を誤魔化して言うんだろーがよぉ!
義務教育うけてんのか?あ”ぁん?!
木に囲まれてほとんど日陰。ヒヤっとする。
思ってたよ急な斜面。落ち葉で足元がフカフカ。
頂上に着いた\(^o^)/
石碑があるぞい!
石碑と木が石垣に囲まれてる。
石垣は嘉永七寅年(1854年)に納められたもの。
嘉永七年は、黒船来航・京都の大火事・4回の大地震などが起こってマジでヤバさがハンパなくて縁起が悪いので、ビビッてこの年のうちに元号が改められて[安政]になりました。
石碑には[大正十五年一月]って刻まれてる。
石碑よりも、石垣の方が72年も古いやん?石碑が本体じゃないの?
石碑の隣の木には木札がかかってる。
木札によると「クロキ(ハイノキ科) 中国地方西部から沖縄、台湾まで分布。枝の先が角ばる。」らしい。
御神木とかじゃないみたい。
石碑の裏側には[大神宮舊跡]と刻まれています。コッチが表側かな?
※舊はキュウ・グ・ふるい・もと の意味
読みやすく書くと[大神宮旧跡]か。
ということは、大正十五年に、ここに在ったであろう大神宮がなくなったのか…。
石碑のそばには手水台があります。
文化十一甲戌年 奉寄 福島紺屋町 十一月吉日
文化十一年は、西暦1814年。今(2019年)から205年前に奉納されたもの。
石碑を引きで撮ろうと思って離れてみたら、なんと!
(;’A`)ぇ…。
カラーコーンとバーでしきられてて、[立入禁止]の表示が…
奥に見えるのは、さっきまで見てた石碑です。
いやいやいや!立入禁止なら、ちゃんと1周ぐるりを囲んどってよ!
俺が不法侵入みたいになるやん!
誰がどこから登ってくるか分からんやん!
登ってきた道には[立入禁止]の表示は1個もなかったやん٩(◦`~´◦)۶もー!
ごめんなさい。わざと立ち入ったんじゃないんです、勘弁してくださいm(__)m
謝ったふりして目線を落とすと、古墳の下には神社らしきものを発見しました!
やったぜ٩(ˊᗜˋ*)و見せかけだけでも謝ってみるもんやな!もうけたぜ(*´﹃`*)
古墳見学し終わったら行ってみようε=┌( ´∨`)┘
石碑があるここは前方後円墳の後円部。
ここから前方部にむかいます。
前方部から、後円部を撮った写真。
道ができてる。こんなに鬱蒼としてるのにコケが生えないほど人々が通ってるんやね(゜o゜)!
それに道の周囲には落葉が無い!こんなにも木に囲まれてるのに!
お掃除ごくろうさまですm(__)m
前方部には社が一つ。グーグルマップによると、これは岩戸山大神宮の社。
さっきの石碑の所からこっちに移転したのかしら?
金具はサビてて、所々コケがはえてる。
基礎はけっこうキレイ。
特に特徴のない、普通のどこにでも有りそうな造り。
と、思いきや!
この社紋(?神紋?)!!見たことないぞΣ(OдO;)!?
丸に松が三つの紋。一つ松の下に二つ松が横に並んでる!
ネットで探してみたけど、この紋は見つからなかった:;(∩´﹏`∩);:
もしかして[三つ盛り匂い梅]かな?配置はそれっぽいんやけど…
珍しいマイナーなヤツかな?
社の中には、御神体?の両脇にサカキの葉が供えられています。
注連縄から生えてる紙きれはキレイ。
社の周りはコケが生えてない。ここも人が通るんやね(*´з`)
前方部の端っこから撮ったんやけど、前方後円墳っぽさが分かるかな?
画像で見るとあんまりアレやけど、肉眼でみると「うおああああお前方後円墳やん!」ってなるよ٩(ˊᗜˋ*)و
前方の手前側が高くて、後円部とつながってる所にむかって低くなってる。
後円部は、前方部との接続部から階段を登るように盛り上がってて、
そのうえに石碑があります。
社の真ん前には下りの階段がある!
コッチから登ってくるのが正解なんやね(;’∀’)
手すりはあるけど、、
石階段はジメジメしててコケってて滑りやすいから要注意!
今まで紹介してきた石碑と神社は岩戸山古墳の上にあります。
この後は、下に見えていた[吉田大神宮]にお参りしますε=┌( ´∨`)┘
おわり。
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