国道442号線から[かまや橋(赤い橋)]の方向に入って、橋の手前で左折したら突き当りにあります。
しばらくは車せまい道が続いてるので、対向車に気をつけてくださいm(__)m
神社前には、少しだけ空きスペースがあります。
車が止まってたから駐車場なのかな?
ここから川に降りて水遊びできます٩(ˊᗜˋ*)و
この辺は水がきれいだから楽しいよね(*´﹃`*)
鳥居は、大正七年七月吉辰のもの。
鳥居の向こうには湯辺田公民館が有ります。
公民館の脇には[水害■地整理記念碑]がたっています。
碑文を読むと、昭和十年に大水害が起こってなんやかんやあったそうです(ほとんど読めなかった)。
石碑には茅島姓が多く刻まれてた。同級生にも茅島が居るけど、この辺出身なのかな?
お正月準備で大きな旗が立っています。
公民館の奥には、小さな土俵と倉庫があります。
コッチの鳥居は古いもので天保年間のものかな?風化で文字が読み取れない(;´∀`)
見上げると、拝殿と神田と大樹が見えます。
木が大きすぎてサイズ感が狂ってしまうΣ(OдO;)!?
階段脇の狛犬は、文久三年亥十二月吉日のもの。
文久三年は西暦1863年、今(2019年)から156年前のもの。
階段を登りきると、立て看板が有ります。
釜屋神社楠(天然記念物)
町指定 昭和六三年三月二九日
所在地 黒木町大字湯辺田字神道
一、神社の由来
明治一年六月、神仏の区別に関する例の布告(神仏判然令)により、報告した書の控えによる。
当社は桓武天皇の延暦元年(七八二)本分村に祀られていた中瀬神社(嘉応二年)を黒木助能が建磐竜神と相祀り、田形村に移し、釜屋宮と改めた。祭神は祢都波能売神(みつはめのかみ)(水神)。寛永二年(一六二五)神木のある現地に社を立て、湯辺田村の氏神釜屋宮と称する。
二、樹勢
神木は神社創建前から矢部川の北岸、大岩盤上にそびえていた楠である。
根元土際周囲一八、五m。地上一、五mの幹まわり一〇、五m。樹高根より二一、三m。枝張り東西三一、五m。南北二三、五m。樹齢約六○○年。(他に楠に関する伝説あり)
黒木町教育委員会
( ゚д゚)すごく、おおきいです。
それにしても、大きな楠よ!
これくらい大きい!身長が1700㎜以上もある人型生命体と比べてもこの大きさ\(^o^)/
さすが樹齢約六百年!
この日は良く晴れてたのに、神社周辺は木の陰になって日が射しません。
そのせいかジメジメ系の老朽化が進んでいます:;(∩´﹏`∩);:
拝殿から川下の景色。水が綺麗で夏には川遊びできるよね(*´罒`*)
川の向こう岸には[釜屋神社]があります。ここ(釜屋神社)と同じ名前です。
川に突き出した岩盤の上に建っています。
川のこっち側は黒木町で、向こう側は立花町です。
拝殿を正面から。もっと引きで撮りたかったけど、足場が無くて…。
戸には[釘抜き紋]があります。
正面の彫刻は立派なものです。龍と唐獅子牡丹が彫られています。
戸のすき間から拝殿内を覗き込むと、大きな絵が三枚納められています。
刀や槍を持った鎧武者が馬で駆けています。
旗には六文銭の紋があります、真田家の誰かを描いたものかな?
コッチは合戦場の絵かな?❖四菱紋が見えます。
左下に描かれているのは武田信玄公かな?
ウチワもってるし、カブトは二本角だし、首には白いファーを巻いてて、
鎧の上に赤いアウターを着てるし、武田信玄公で違いないよね٩(ˊᗜˋ*)و
本殿に向かおうと拝殿の裏に回り込むと‥
画像左側が拝殿で、右側は神田への階段です。
拝殿を建てるために、階段を切っちゃったのかな?
階段から神殿を見上げると‥左にある大楠のせいで小さく見えるΣ(゚□゚*)
神殿への階段のわきには[奉雨請願]と彫られた石柱があります。
日照りが続いてたのかな?祭られている水神様(祢都波能売神)に雨をお願いしたんやね。
神殿の木鼻には、あまり見かけない動物が居る…鼻が長くて、大きくて垂れた耳があって、たてがみが長い?
犬系の生き物かな?ボルゾイとかアフガンハウンドとかかな?
いつもの唐獅子とか獏じゃないよね?誰かな:;(∩´﹏`∩);:?
神殿は老朽化していて、存亡が危ぶまれる_:(´ཀ`」 ∠):
神殿の屋根。もっと引きで撮りたかったけど、足場が無くて…。
神殿から拝殿を見下ろした図。これ階段を登らせる気ないよね(;’∀’)
でかい(∩´∀`)∩
これで枝よ!木が二本写ってるんじゃなくて、枝よ!!
最後に、下から見上げた写真。
おわり。
川の向こう岸の[釜屋神社]
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