福岡県八女市立花町田形354-1にある[釜屋神社]をブラブラしてきましたヽ( ´ー`)ノ
矢部川に突き出した岩盤の上に建てられた神社です。
トイレはありません。駐車スペースはあります。
国道442号線から[かまや橋(赤い橋)]を渡って、左折できる三つ目から入ります。
しばらくは車一台が通れるくらいの幅の道が続いてるので、対向車に気をつけてくださいm(__)m
神社の手前にある[よかとこ光友マップ!]にはこう書かれています。
矢部川の守り神とされ、江戸時代から柳河・立花藩の保護を受け、地区住民の尊崇を集めている。
秋の祭りにはぼたもちを奉納し、氏子で食べ合う習慣がある。昔は米2升で一個という巨大なぼた餅を作っていた。
光友地区地域振興会議
神社前には、少しだけ空きスペースがあります。
車が止まってたから駐車場なのかな?
玉垣には[大正十三年五月]と刻まれています。
石灯籠は明治四十二年八月のもの。
古い神社に似つかわしくないキレイな狛犬は、
平成十六年(2004年)に釜屋出身の大石四夫さんが寄贈したもの。
馬かな?
社殿は参道に対して直角に建って、川の方を向いています。
境内には立派な石塔が建っています。
石塔も、隣の石灯籠も大石さんの寄贈です、この辺は大石家が多いみたい。
川の向こう岸にも[釜屋神社]があります。ここ(釜屋神社)と同じ名前です。
向こうの釜屋神社にある大きな楠(くすの木)は天然記念物に指定されています。
川の向こう側は黒木町で、こっち側は立花町です。
川をのぞくと、でっかい石(岩)がゴロゴロ見えます。
そりゃあ、大石姓になるよね(∩´∀`)∩
拝殿の正面に来ると、お正月の準備で国旗が掲げられています。
この日は2018年12月31日の大晦日です。
拝殿には、大きな絵画と神社の縁起書きがかけられています。
縁起書きの内容です。
釜屋神社縁起
祭神 罔象女命 瀨織津姫命
それここに筑後国上妻郡釜屋大明神は人皇五十代桓武天皇の御宇延暦年中
この地に跡を祭りたもうてより多年の星霜を経て社頭も漸く頽敗しぬ
然るに平治の頃薩摩国根占の城主大蔵大輔助能公綸命を蒙りて黒木の庄猫尾の城主に封ぜられる
ある時助能公霊夢によりて嘉應年中この社頭を再興し給ひ尊信淺からず
即ち累世祈願の地と仰ぎ給う
物換り星移り数十代を経て天正十二年甲申黒木兵庫頭家永公に至りて猫尾落城社頭も己に破却し■
その後慶長十一年田中吉政公尊敬まし〈神領を寄附し給ひ再び盛栄の霊地となれり
元和七年の春竹中寀女正公また神領御免の地を給う
同年の冬大守宗茂公御尊信の旨を以て猶また倍加の地を寄附し給う
之に依りて神威日を追ふて輝き神徳年を経て厚し誠に国土安全五穀豊饒万民快楽の霊地となれり
今ここに宝暦十年辰三月旧例によりて端戸をひらき
奉り貴餞の拝礼を乞う神奥奇跡の影を映すがごとくその徳豈空しからんや
縁起書きに名前が挙がっている[田中吉政]と[立花宗茂]は二人とも柳川藩主です。
絵画はコレ。[文政己四年十一月]と書かれています。文政四年は西暦1821年、今(2019年)から198年前です。
神殿をのぞき込むと、ご神体(罔象女命と瀨織津姫命)と神鏡がみえます。
神社の正面には玉垣の切れ目あります。
こういう所には、いにしえからの何かがあるんよねぇ(*´﹃`*)
と、思って近づいてみても何もない…(´~`)
と、思いきや!あるやん!階段が!
じゃあ、降りるよね٩(ˊᗜˋ*)و
ぁあ足場が小さい、こわいよ_:(´ཀ`」 ∠):
神社の下の大石に降りてきた\(^o^)/
水面には、対岸の釜屋神社が映ってる。
ここからみると、この釜屋神社は大岩の上に石を積んで作られたんものだと分かる。
対岸の釜屋神社から、こっちの釜屋神社を見るとこう見えます。
崖の上のポ神社。
階段があるってことは、この岩の上でなにか神事的なことが行われるのかな?
川の水は綺麗やし、静かやし、景色を遮るものが少ないし、いいところよね!
旧八女郡すき(๑´◡`)
おわり。
大楠が天然記念物に指定されています→向こうの釜屋神社
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