福岡県八女市忠見261-1にある[正八幡宮]をブラブラしてきました(^^♪
ここは鎌倉時代に勧請された歴史の深いお宮です。
この日は2018年12月31日大晦日で、お宮は年末年始モードでした。
鳥居が二つベタ付けで立ってる。
手前の鳥居は昭和61年9月吉日、奥の鳥居は明治28年冬に納められたもの。
鳥居をくぐると髄神門があります。
警察官立寄所の垂れ幕がかかってます。と、いうことはこの辺は治安が悪いのかな?
髄神門には髄神と狛犬が居る。
狛犬は愛嬌あるけど、、不細工よね(*_*;
髄神門の天井には、かすかに絵が残っています。
植物・鳥・魚などが描かれています。
参道脇にずらりと並ぶ狛犬3対。
一対づつデザインが違ってててて面白い(*´﹃`*)
参道には斜めに切った竹が並べられてる。
一番手前の狛犬は顔が怖くて迫力がある。
真ん中の狛犬は、ンイ”ギギギギって歯を食いしばって目玉が飛び出しそうな顔。
前足は両方とも義足。
一番奥の狛犬は、鼻がつぶれた大きな顔で表情は柔らかい。
‥コイツ、どっかで見たことあるような?
台座を見てみると[石工 池田利助久秀]と彫られてる。
この人は福島八幡宮(八女市本町)の狛犬も作ってた。
大きな顔と潰れた鼻、よく似てる(๑´◡`)
そんなこんなやってたら地元の御爺様がお参りに来たので、
いろいろ話を聞かせてもらいました٩(ˊᗜˋ*)و
参道に置かれたスラッシュ竹は、この中にロウソクを置いて灯籠にするんやって。
正八幡宮由緒
御神祭 応神天皇、神功皇后、武内宿禰
この神社は、治承四(西暦一一八〇)年に八女市山内の犬尾城主・川崎定宗が大隅国桑原郡の正八幡宮(現・鹿児島神宮)を勧請し、川崎の荘の鎮守としたものです。
その後、戦いによる戦火で焼失しましたが、万治三(西暦一六六〇)年に再建しました。
神殿は二間の一間半、拝殿は五間の三間、境内は約八百四十坪あり、明治六(西暦一八七三)年に郷社に列せられました。
祭日には、風流・神幸・能・流鏑馬などが行われていたと伝えられます。
その昔、権現宮(坂本神社)がありましたが、この神社は天元三(西暦九八〇)年八月に建立されたものであり、本社・正八幡宮が勧請される以前の神社でした。
正八幡宮勧請以後は城主より末社として崇敬されていました。
御鎮座 八女市忠見二六一番地一
なんと!御祭神が福島八幡宮と全く同じ!
福島八幡宮はここから直線距離で4.5㎞くらい離れたところにあります。
1180年は今から839年前!鎌倉幕府ができた年!
六年間に及ぶ源平合戦が始まった年!
いにしえー(*´﹃`*)
※鎌倉幕府は1192年とか1185年とか諸説あります。
拝殿はすっかりお正月のよそおい。
拝殿内には鮮やかな大絵馬が何枚も収められてる!やったぜ٩(ˊᗜˋ*)و
これには、神社と列車と洋風の建物と桟橋と大きな蒸気船が描かれてる。
八女には船が着けるような場所は無いから、どこか遠くのようすなんやろな(*´﹃`*)
これに似た大絵馬は三枚あった。人気のイラストやったんやろな(*´﹃`*)
屋を背負った赤い衣の女性の前で、白髪ひげジジイが赤子を抱いてる、その周りを鎧を着た四人が囲んでる。
これ、もしかして、赤い衣の女性は神功皇后で、爺さんは武内宿禰で、赤子は応神天皇じゃない!?
応神天皇は福岡県生まれやし、各所で武内宿禰は白髪ひげの爺として描かれてるし!
ここの御祭神は、応神天皇・神功皇后・武内宿禰やし!それっぽくない!?
ふぉおおおおおおお\(^O^)/たーのしー!!!
全員が怒った顔してる、ケンカしてんのかな?
各キャラクターには名前がそえられてるけど、色あせてて解読できたのは3人だけ。
土肥次郎實平・三浦義■・尾原平三景■の三人は解読できた٩(ˊᗜˋ*)و
名前から色々調べてみると、どうやら源平合戦の一部が描かれてるみたい。
時間に余裕ができたら、ちゃんと調べてみよう(*´﹃`*)
昭和天皇と香淳皇后の写真も奉納されてる。
日本人は天皇陛下と戦が大好きよね(*´﹃`*)
神殿の方をのぞくと、神殿前には鏡餅とお神酒がそなえられててお正月モード。
床下には、ホウキ・カゴ・剪定ばさみ・雑巾とかがある。
ちゃんと保守されてるんやね(*‘∀‘)
境内にはテントが張られてて‥これは炊き出しの準備かな?
鬼瓦には天皇家御用達の十六菊の紋があるよ!
拝殿神殿とは別に建物がある(写真右)、この建物はなんやろか?
能とかの舞台かな?ただの倉かな?気になるわぁ…
さっきの御爺様に教えてもらおう思ったけど、もう姿は見えなかった_:(´ཀ`」 ∠):
なにかと共通点のある八女市本町の福島八幡宮の記事です↓
おわり
コメント