国道三号線の馬場信号から、矢部川の上流へ向かうと花宗堰があります。
ガーデンホール矢部川上の裏です。
花宗堰は、矢部川から分岐した花宗川の起点です。
トイレはありません。
駐車場は、すぐ近くにある花宗神社の裏に駐車スペースがあります。
道路の左側が矢部川花宗堰、右側が花宗神社です。
この堰で矢部川は二つに分けられます。
左側の大きな流れは矢部川、右側の小さい流れが花宗川です。
花宗川の起点はココです、ここから筑後市・大木町・柳川市・大川市などを流れて筑後川に注ぎます。
分岐点からすぐそこに、小さな赤い橋がかかっています。
橋は、人一人通れるくらいの幅。
橋を渡ると、石塔や祠があります。
九州北部豪雨の影響かな:;(∩´﹏`∩);:?
石塔の手前には、倒れた鳥居が有ります。
松鵜家霊舎です。正面には[汎萬霊供養 松文]と、
てっぺんのラグビーボール型の石には[汝等は世の光なり]と刻まれています。
松鵜家霊舎の前には、石灯籠があったであろう基部のみが残っています。
石碑のわきには文字が刻まれた石板が倒れています。
石板に刻まれている文字を書きだしました。
■筑後国上妻郡■■■人町松鵜九平次男■■■■介■■■リ
■代江下伊兵衛人■子トナリ世右衛門ト■ス生質温■■藩
■有馬家之代支郡地方ニ■商ヲ開キ年四十二シテ江下家ヲ
■文二代江下伊平ト改名シ初代の商業精意也■シテ木洋
神ヲ発明シ販路支■地方ニ擴張ス益外国通商ヲ隆盛ナラシ
■以テ全ノ商標ヲ萬國ニ光■セシハ伊平■識蔵■■■テ■
ラン明治十年内国■業博覧會開記ノ際ニ■ミ商業ト■暦ヲ
■■以■■■■以テ■功ニ等袋賞ヲ下場セラル行年六十有
二明治十三年八月三日■病■ニ卒■成嗚呼
要約するとこんな感じ↓‥?かな?
「筑後国の上妻の松鵜九平の次男が
有馬藩に商いを開き年42にして江下家を
文2代江下伊平と改名し初代の商業精意なり
神を発明し販路?地方に拡張す、益外国通商を隆盛ならし
以て全ての商標を萬國に光?せしは伊平
らん明治10年内国?業博覧会会記の際に?み商業と?暦を
功ニ等袋賞を下場せられる行年六十有
に明治13ねん8月3日?ああ」
松鵜さんが久留米藩で商売繁盛してて、なんやかんやで明治13年に病気で亡くなった嗚呼。っていうお話かな?
この石塔は、昭和四拾年拾月吉日に松鵜文殊さんが古希記念に建てたものです。
石塔の基盤もはがれてしまっています。洪水って怖いね_:(´ཀ`」 ∠):
左が花宗川で、右が矢部川です。
堰には段差が設けられていて、段差を落ちる水の音がゴーゴーと鳴っています。
花宗川の名は、柳河藩初代藩主である立花宗茂公からとられています。
立[花宗]茂ね!
花宗川は、各地の小河川を人工的につないで作られた運河です。
宗茂公は、排水や農業用水の確保や水運のために人工運河(花宗川)の整備に着手しますが、
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで負け組(西側)についていたため、柳川藩主をクビになります。
その後、宗茂公に代わり柳川藩主になった田中吉政公が引き継ぎました。
きれいな水には魚が泳ぎ水草が茂っています。
夏に水遊びに来ると楽しそー(*´﹃`*)
岩場はコケてて滑りやすいので、水遊びするときは気をつけてくださいm(__)m
魚とり、水草集め、川遊び、良い遊び場やん\(^o^)/
おわり。
花宗堰すぐそばにある神社→花宗神社
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