福岡県みやま市瀬高町河内2030にある[天満神社]をさるいてきました\(^o^)/
消滅寸前の天井絵と、匠の彫刻のおかげで画像いっぱい(31枚)ページです、
表示が遅いかもしれません、お急ぎの方は別の記事をドーゾm(__)m
社名:天満神社
社紋:加賀梅鉢
所在地:福岡県みやま市瀬高町河内2030
経路:国道209号線上[吉里信号]すぐ
駐車場:となりの公民館の駐車場
トイレ:なし
ココね、国道沿い[吉里信号]。大牟田方面から久留米方面を映した写真。おなじみの景色よね(´▽`*)?
ココを左折すると、すぐ公民館の駐車場がある。そこから徒歩5秒で天満神社。
まずは、鳥居。鳥居も立派だけど、それよりもデッカイ楠に目が行ってしまう(@_@)
神社の右側は田んぼ、前と左は堀がまわってて、後ろには国道209号線が走ってる。
新しそうな随神門と、古めかしい灯篭。
堀の水が抜かれてたから、堀底に舞い降りた\(^o^)/
玉垣は古い石造りで寄進者の名前が彫られてる。
橋の周りだけ、石造り。周囲はコンクリ造り。
橋を渡ってすぐ左側に、二つの石。左の石には[猿田彦~]、右には[社日大~]
参道をすすむと、拝殿が見える。拝殿を真正面から。屋根の緑青色と薄く残った朱色。
灯籠の基部には、出征軍人の名前が刻まれてる。
この時代は、きちんと[吉]と[]を区別してたんやね(*’▽’)
[]は機種によって表示できない文字だけど見えてるかな?土の下に口のね。
末梅吉さんは、今なら[末吉梅吉]表記になってっしまうよね(;・∀・)
田中幸太郎さんの[幸]の字は、昔はこう書いてたんやね、こういうイニシエすき。
金色の[天満神社]
拝殿の天井絵はほとんど残ってない( ;∀;)
鎧を装着して、馬に乗って、戦国時代みたいな絵が多かった。
幣殿には太鼓が吊られてる。手でポンポンしたけど、ちゃんと音が鳴るよ!
太鼓の向こう側には、本殿の彫刻が見える。
豪華やん、彫りが深くて、多い。腕のいい職人の仕事やろなぁ(´▽`*)
匠の技やん。
これくらいの大きさの神社では参拝者から見えないところなんて、手抜きされて装飾されないような部分なの。
こんなところまで彫ってるのはなかなか無いよね\(^o^)/
拝殿の屋根には、[加賀梅鉢]かな?天神様のマークね。
本殿の屋根は、なんかガンキャノンみたいのが生えてる。
本殿に向かって左側には石碑が二つと若宮大明神。下の画像は若宮大明神ね。
石碑の一つは[電氣工事紀念]。以前は[記念]じゃなくて[紀念]って書いてたんやね(@_@)いにしえー
基部には由緒書がある。
基部にはこう書いてある。
――――――
昭和十四年山門炭鉱起業後
工事の進展に伴ひ農地の陥没井
水用水の枯渇其極に達し耕作不
能に立ち至らんとす依って當時の
瀬高町々長太田龍一氏の紹大なる
後援を得た當時部落の惣代會社
當局に対し強硬(強は旧字)なる交渉をなし
昭和十七年會社により被害最ー
大なる十一ヶ所に電気灌水の設備
なさしむ其後昭和十九年同ー工
事中止の止むなきに至り会社より
此れが拂下げを受爾後種々設計
の変更をなし拡張に拡張を重ね
今日は三ヶ所の設備をなすに至れ
り依って碑を建立し記念とす
昭和ー四年四月
――――――
もう一つの石碑は[日〇戦役の碑](〇は読めない字 誰か教えて)。基部正面には[中人軍征出]。
基部側面には多分こう書いてある。カッコ内は今の字ね、旧字とか機種依存文字だから注釈。
――――――
大正三四年
出征人名
國﨑子之(国崎子之)
末鹿(末吉鹿吉)
大正八年十月建設
櫟野石工
楠田圧太郎
河野〇一
堀千桜
――――――
いにしえ~。
もしかして、ココに書かれてる[末鹿]さんって、上で紹介した灯篭基部の出征軍人名に有った[末梅吉]さんの血縁の方かしら!?
向かって右側には、お地蔵さんが並んでる。
本殿の裏、国道209号線から見える部分。背の高い楠と土俵と遊具が少々。
土俵はラッピングされてる。相撲はよく知らないけど、この土俵ちいさくない?
その前に、これ土俵なんかな(*’▽’)?
感想
鳥居と随神門は建て替えられてて綺麗やったけど、拝殿本殿狛犬灯籠は古いまま残ってた( *´艸`)
石碑に彫られた文字が、今では見ないような古い字体でタイムスリップしたした気分になった。
消滅寸前の天井絵が悲しい、絵が褪せる前に見に来たかったな(*_*;
日〇戦役の碑があるし、灯籠には[日の丸国旗]とか[富士山]とか彫られてたし、戦争関係の神社なのかな?
209号線を通るたびに気になってた神社、ようやく行けてスッキリした(^^♪
イニシエ感が好きな方は是非どーぞm(__)m
おわり。
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